臼杵藩主から崇敬された由緒ある神社「八坂神社」

2022/12/18

# 臼杵市

祇園まつりの会場で知られる神社

 

臼杵市の城下町に鎮座する「八坂神社」。昔から多くの市民に親しまれている神社ですが、「臼杵祇園まつり」で一度訪れたことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「臼杵祇園まつり」は寛永20年(1643年)から続く臼杵市の伝統的な夏祭りです。平成20年には大分県の無形民俗文化財に指定されました。

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このお祭りは臼杵藩主であった稲葉信通が寛永19年(1642年)海添五味浦の馬場に行宮を建て、四代藩主の良通が神輿と、関ヶ原の戦いで得た戦利品の鳥毛槍50本を寄進して、御神幸の儀を行ったことが始まりと伝えられています。

 

承応元年(1652年)からは定例祭となり、六代藩主の友通の頃からは祭礼の規模が大きくなり、城下町での山車行列といった催しも始まるようになりました。

 

当時は山車の上で芝居の奉納も見ることができたそうですよ。

 

現在は中津、日田とともに大分県の三大祇園まつりの一つとして知られています。

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戦国時代には遷座も。八坂神社の歴史

 

「祇園まつり」で有名な「八坂神社」の歴史について見ていきましょう。

「八坂神社」は、奥州磐前(現在の福島県いわき市)の鶴ヶ峰に祀られていましたが、源義家が奥州の支配者であった清原氏討伐(後三年の役)の戦乱を避けるため、船により安芸国尾道(現在の広島県尾道市)を経て、臼杵湾の洲崎岩ヶ鼻に流れ着いた後、現在の原山地区である神ノ木原に鎮座したのが始まりと言われています。

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明治に社名を改めるまでは「祇園宮」と呼ばれていた「八坂神社」ですが、豊後国を統治した大友宗麟がキリスト教を崇めるようになり、領内の寺社を焼き討ちにした際、その難を避けて御神体を臼杵市の二王座にある見星寺裏の洞窟、海添の巌窟、津久見の八戸や、宮崎県日向の飫肥に移されていました。

しかし大友氏が改易となると、臼杵城主であった太田一吉の命により、現在地に社殿を造営して御神体を移したとされています。

 

その後、臼杵城主となった稲葉氏の代には神殿、拝殿の造修や、神幸祭の創始とそれに伴う旅御所の造営、神輿や各種御道具の寄進があったそうで、厚く崇敬されていたことが分かります。

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海の街ならではの御祈祷も!

 

「八坂神社」は安産祈願、家内安全、厄除け、商売繁盛にご利益があると言われています。その他、海が穏やかであるように願う海上安全や、海からの恩恵が多くなるように願う大漁祈願といった祈祷も行うことができます。漁師町ならではのお祓いですよね!

 

境内でお守りも購入できますので、ぜひ参拝に訪れてみてください。

 

また毎年7月に開催される「臼杵祇園まつり」は、神事の行列や山車、臼杵独特の御槍振りから始まる御神幸、神楽など見どころ満載の歴史あるお祭りです。

毎年日にちが異なりますので、臼杵市観光協会のホームページなどで日程をチェックしてから訪れるようにしてくださいね。

 

 

■八坂神社

大分県臼杵市臼杵1番地

 


 

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